日本初の競馬場(根岸競馬場?) があったところで、馬の博物館もある。
当時のまま残っている一部の観覧席がとってもあやしくてイイ感じ。
港の見える丘公園から、外人墓地をぬけ山手の丘を根岸方面に向かって右側。
有料だが敷地内に駐車場あり。
藤沢橋から467号線を3kmくらい北上した左側にある体育センター内の施設。 どういう歴史があるのかわからないが、 当時のまま残っている建物がとってもあやしくてイイ感じ。 近くに陸上競技場、テニスコート、藤沢商業高校などがある。
正面玄関を入って階段を少し上がると内はせルフサービスの食堂になっていて、
手軽な値段で食事ができるようになっている。
自動販売機もあるのでちょっと休憩するもよし。
ボクがいったときは、外に“ラーメン”と書いたの赤いノボリが立っていた。
『鶴見ところどころ―私の鶴見・近原代史―』(中嶋昭,230クラブ新聞社,1997) によると、この建物は大正9年にできたオラガビール(旧日英醸造)の工場で、 現在は妙高企業の倉庫として使われているようだ。 オラガビールは、寿屋(サントリーの前身)から販売されていたビールだ。
第二京浜国道を鶴見から五反田に向うと、
鶴見川を渡るとき右側にたたずんでいる。
JR京浜東北線からも注意しているとわずかに見える。
2008-06-15:
2008年の春、解体工事が始まっていました。
歴史のある建物なので、
そのうちドコかが再生するのではないかと漠然と考えていましたが、
まさか解体されてしまうとは……。
ちょっと怪しい看板が目印のいちご園。 湘南モノレール添いの道を江ノ島方面に向かうと、 北鎌倉の手前の坂の途中に看板があれどいちご園の姿は見えず。
看板には《深沢交差点より南に400m》という記述があるが、
どー考えても看板のある場所が“南に400m”の地点。
あるときふと気がついた。
十字路だとばかり思っていた深沢交差点は変形五差路だったのであーる。
戦前から続く床屋さん。
ご主人の話では、 海側にある京浜工業地帯に近いにもかかわらず(それとも近いが故に?)、 このあたりは戦災を免れ(焼夷弾が落されなかった?)、 古い建物が残っているそうだ。
風格のある革張りの椅子に座り、散髪の途中ウトウトしたり、 ときおりご主人の昔話を聞いたりするのがちょっと楽しみな休日のひとコマでした。 椅子には「クラサワの理容椅子」というネームプレートが……。
映画『死の棘』(小栗康平監督、島尾敏雄原作、1990年)のロケーションに使用されたことがあるらしい。
京急生麦駅の西側にある跨線歩道橋を降りたところ、 写真店サトウスタジオの横にありましたが、 なぜか写真を撮った翌日に突然撤去されてしまいました。 (2006年9月17日、忘れもしない「すげーぜ鶴見」の開催日のことでした)
写真(左): 中央に“岸谷1丁目”と書いてあるので、たぶん「岸谷1丁目」の地図。 商店の記載が目的のようだが、広告はなし。 “東亜標識企画(株)製作 鶴見区1073”という文字がある。
写真(中): 「岸谷1〜3丁目商工案内図」というタイトル。 “KK東都標識社製作 許可済 鶴見区-1036"という文字がある。
写真(右): 「生麦1・3・5丁目」というタイトル。 線路の反対側の地図(なぜか、魚河岸通りの国道側の店のみ表示がある)。 “日本標識ガイドセンター”という文字がある。
実のところ、前からその存在が気になっており、 時折立ち止まって眺めていたこともあるのだが、 小さい駅とはいえ駅前なので人通りが多く、 なおかつ狭い場所なので長居は遠慮していました。 あと、常用しているカメラがCASIO QV-770(35万画素)という 低解像度のモノなので写真に撮ってじっくりと見るという方法を思いつかなかったのであーる。
ちょうど数日前、実家の父親用に手振れ防止機能付のデジカメ Panasonic Lumix DMC-LS2(500万画素)を購入したので、 その実力テストも兼ねてめずらしく早起きをして撮影に向かったのであった。
最近はすっかり見かけなくなりましたが、 以前は駅前だけでなくいたるところにあり 見知らぬ土地では役に立ったものです。
どの町にもある(?)あまり上手ではない鉄看板の地図 - 教えて!goo によると、 正式名称は標識広告、分類上は「屋外広告」の一種になるようで、 町地図と呼ばれることもあるようです。
鉄道のある風景 - トマソンな看板・東北 では、トマソンな看板、地図看板と呼ばれていますが、 ここのコレクションはすごい!?
※撤去されてから数年後、 サトウスタジオから跨線歩道橋を登りきったところに一枚だけ再設置されました。 :-)
復活したのは、「岸谷1〜3丁目商工案内図」でした。